公益社団法人日本建築積算協会・東海北陸支部

支部報 vol.42 2005.2

支部長あいさつ <新しい年を迎えて>

支部長 杉浦 譲治

 会員の皆様、新年明けましておめでとうございます。 昨年一年は、多く語られるように災害多発の年でした。内外ともに何かが我々に多くの反省を求めるかのように、自然の力の凄まじさの前に人間の無力さを見せ付けられた年でした。 今まで豊かな感性を育ててきた四季を持つこの国の一年も異常気象により大きく変わろうとしています、もう異常気象とは言えないのかもしれません。エネルギー、大気汚染等の環境問題はもはやお題目ではないのです、与えられた問題ではなく自らの問題として日常の生活の中に組み込まれなければならないと思います。

昨年はこの様に多難な年でしたが、当支部にとっても現役の支部役員として永年ご尽力を頂いた松原舜二郎氏、村島忠彦氏の弐氏を病にて失い、また初代の支部長として支部発展の礎を作っていただいた第12代伊藤平左衛門先生を失うという不幸な年でありました、深く哀悼の意を捧げるとともに誌上をお借りして会員の皆様にご報告させていただきます。 このような不幸もございましたが、両氏をはじめ役員の皆様、関係する会員の皆様の努力はいくつかの実を結ぶ兆しが見えてきました。 ホームページの充実は会員の皆様とのコミュニケーションの場としてその重要性を役員の皆様にお願いして来ましたが、ここ一年における充実振りは皆様ご覧になってお分かりのとおりです。 特にこの作成・更新の作業は若い会員の皆様の熱意とご努力の賜物と感謝しております。

  データーベースに於いては各委員の皆様の努力がようやくひとつの形を見せ始め、発注者にとっても、また建設会社にとっても難解であり尚、最もコストに関連の深い建設産業廃棄物に関するデーターの収集と、解析が行われています。 会員の皆様の日常業務にお役に立つものと思います。

 また耐震委員会は、耐震診断はしても耐震補強に幾らかかるかもわからないという一般ユーザーの悩みに答えて、構造技術者協会の皆様と共同して取りあえず、木造建築の「コスト速断システム」を作りました、つぎはS造.RC造.SRC造の計算システムへと進むことを期待しています。  設計審査委員会の活動は、委員の皆様のボランティアによる活動が当支部の活動費用を大きく支えているのは勿論ですが、一方で対応する設計者の提出される予算書の内容を格段にハイレベルなものにさせてきた功績は見逃すことはできません、また同時に積算資格者の受験者の増加にも係っていることは大きな実績でしょう。

 また昨年協会として「建物改修におけるコストマニュアル」を完成させ、本年はその普及の年であります。講習委員会の皆様にはまたご苦労の増えることと思います、今後改修工事の増えていく中で新しい基準としてご利用いただければ幸いです。
 しかしこれらの事業はすべて完成ではなく継続です、今年は役員改選の年です新しい役員にその意志がきちんと継承されるよう願っています。 今年は酉年です、会員の皆様ともども大きく羽ばたける年になるよう祈念してご挨拶と致します。 

平成17年度 支部通常総会及び懇談会のお知らせ

今年の八団体共催新年互礼会

総務・会員委員会委員長 佐藤 佳久

 新年あけまして、おめでとうございます。昨年一年は、台風の上陸が過去最高となったように、四国、新潟、福井、京都と各地で洪水災害をもたらし、10月には、阪神・淡路大震災を上回るマグニチュードの新潟・中越地震が起き、雪の多さで有名な山古志村などが被災し、今なお不便な、避難所及び仮設住宅での生活を強いられています。暖冬で雪は例年より少ないとはいえ、本格的な豪雪の季節となり、まだまだ心配が続きます。 
海外では、12月26日に発生した、スマトラ沖地震津波による、死者数が15万6千人に達したと、新聞の記事にありました。 

 昨年発生した、すべての災害による死亡された方たちに心より、ご冥福をお祈りします。黙祷 さて、当協会が参加するようになって9回目の互礼会ですが、例年に倣い名古屋国際ホテル2階国際ホールにおいて建築関係八団体主催による新年互礼会が平成16年1月7日(金)午後6時から午後8時まで開催されました。 

 今年は(社)愛知県建築士事務所協会が幹事団体で、中村貴和子さんが司会をされ、岡田利一同協会副会長の「開会のことば」で始まりました。各団体長の紹介につづき鷲野義明同協会会長が主催者八団体を代表してあいさつをされました。昨年に続き残念ながら所用のためお見えになれなかった、神田真秋愛知県知事に代わりに愛知県建設部理事の壁谷又嗣様が代読をされ、2月に開港する中部国際空港と3月25日に開幕を迎える愛知万博の多数の参加を要請しながら来賓のごあいさつを頂戴しました。 

 つづいて祝電披露のあと、前年幹事役の梅田俊比古(社)愛知建築士会会長による「乾杯」で和やかな宴が始まりました。 遅れて到着されました、松原武久名古屋市長にも、いよいよ開催が近づいてきた、愛知万博の成功と協力要請を交え、ごあいさつを頂戴しました。

 今回の余興には「民謡をもっと楽しく、もっと華麗にパワフルに!!」をモットーにする'こ.ま.ち'のメンバー2人による和太鼓・シンセサイザー・津軽三味線の華麗で迫力ある音色と歌声が会場中に響き渡りました。本当に和太鼓はおなかの底まで響く迫力に驚かされました。 楽しく盛り上がり、名刺交換や料理・酒を酌み交わし懇談しているさなか、会の締めくくりには恒例の抽選会があり、新春から縁起のよい贈り物に顔をほころばせていました。今回は当会の硎谷智彦副支部長が3等、事務局の池谷たず子さんが1等と、参加の少ない積算協会から2名の当選者を出すという、快挙に積算協会にとっては、今年一年が明るくなったように思います。

 最後に来年主催幹事団体となる(社)日本建築家協会東海北陸支部愛知地域会会長、尾関利勝様の「閉会のことば」で散会になりました。 

建築積算資格者更新講習

資格制度委員長 廣瀬 稔

平成16年度建築積算資格者更新講習が名古屋会場を始めに金沢会場で開催されましたのでご報告致します。

名古屋会場
講習日 平成16年11月13日(土)
会場 昭和ビル9階ホール
挨拶 (社)日本建築積算協会東海北陸支部
支部長 杉浦 譲治
  愛知県建設部建設総務課建設企画室
主幹 大久保 智司
総論 国土交通省中部地方整備局営繕部
営繕積算調査官 佐藤 二紀
第一編 「大規模改修工事の現状について」 
  ㈱熊谷組名古屋支店建築部
積算グループ副部長 竹下 和俊
第二編 「情報技術(IT)と積算技術者」
  国土交通省中部地方整備局営繕部
建築課積算係長 村山 強
第三編 「建築数量積算基準の改定、建築工事内訳標準書式及び建築設備数量積算基準の改定」
  ㈲富士積算 部長 池田 素久
金沢会場
講習日 平成16年11月6日(土)
会場 金沢勤労者プラザ 404研修室
挨拶 (社)日本建築積算協会東海北陸支部
支部長 杉浦 譲治
  石川県土木部 参事 照田 敏隆
総論 国土交通省北陸地方整備局営繕部
設計課長 青木 茂和
第一編 「大規模改修工事の現状について」 
  名峰積算事務所 所長 宮西 茂
第二編 「情報技術(IT)と積算技術者」
  ㈲富山積算センター
代表取締役 笠谷 正
第三編 「建築数量積算基準の改定、建築工事内訳標準書式及び建築設備数量積算基準の改定」
  国土交通省北陸地方整備局営繕部
設計課積算係長 田中 修一
各会場更新講習出席状況
  名古屋 金沢
更新予定者 136 35
受講者 129 34
欠席者 5 1
受講率 94.9% 97.1%

 建築積算資格者更新講習申込者に対する受講率は高い数値となりました。今年度は名古屋会場での更新予定者が少なかったということで、昭和ビルでの開催となりました。昨年度のように愛知厚生年金会館、「狭い」「メモも取れない」等、受講者からの改善要望もありましたが、今年度は受講者からのこういった不満も無く講習を行うことができました。

 今回も「アンケート」という形で受講者の意見を聴く機会ができましたが、資格制度、更新講習に対する厳しい意見もあります。新資格制度が発足しようとしている今、この問題に対して考える必要があります。

 積算協会会員の皆様からの資格制度、更新講習に対する率直な意見をもとに、資格制度委員会としては、より有意義な更新講習となるように今後とも努力していきます。

 最後にお忙しいなか、更新講習にご協力下さいました行政官公庁の方々、講師、役員、委員の皆様に厚く御礼申し上げます。

設計審査委員会だより

設計審査委員会 委員長 西田 彰

 昨年の10月後半の物件を最後に本年度の設計審査を終えました。昨年の25件に対して半分にも達しませんでしたが、11件を無事審査いたしました。岐阜県高齢福祉課からは、来年度の物件数は今年と同程度と伺っています。また、今年も審査協力のほどよろしくお願いいたします。

 設計書内容は、毎年少しづつですが良くなっていると思います。当初は数十項目の質疑が発生しましたが、最近はその半分程度に落ち着きました。しかし、中には初めて審査を受けられる方もいらっしゃいます。今年度も最終審査で適格判定がストップとなった物件がありました。

 建築積算資格者による取り纏めと設計書への氏名・捺印及び登録番号の記載をお願いしております。我々建築積算資格者及び日本建築積算協会の地位向上を目指す意味で、認識と責任を持っていただく為の動機付けとしています。しかし、通常ではないルートの設計書に、ノータッチで単に名前のみを貸すといったような事がありえます。設計事務所からそのような依頼があっても、建築積算資格者として恥ずべき行為は止めて下さい。

 今年度は北陸より多数の参加が有りました。次年度も皆様の参加をお待ちしています。初めて参加を希望される方は東海北陸支部のホームページ「設計審査・参加申し込み」をご覧下さい。

 前号でお知らせしました本部における「平成16年度設計審査等受諾事業推進検討委員会」では、今後の活動の方針が体系付けられ1月末の理事会に報告されることとなりました。次年度においては、基本事項についてのプリントやパンフレットなどが作成され、各支部のいっそうの活躍を期待しております。

講習・教育委員会から

講習・教育委員会 委員長 藤井 正王

 明けましておめでとうございます。平素は講習・教育委員会にご協力誠に有難うございます。

 これからの講習会として、「改修テキストによる講習会」と「PM講習会」があります。改修の講習会は、昨年急激に増えてきた、耐震改修や改修工事を今年度各支部が分担して作成したテキストの講習会です。一般的に改修工事の積算をまとめたテキストは少なくぜひ参考にしていただきたいと思います。講習会予定は下記のようになっています。

 平成17年2月2日(水)
   名古屋会場 昭和ビル9階大ホール
 平成17年2月19日(土)
   静岡会場 グランシップ908会議室」
 平成17年3月
   金沢会場 場所未定

 PM講習会の最終回として「事業計画の立て方」をテーマとした講習会を平成17年3月9日(水)に名古屋昭和ビル9階大ホールにて実施します。講師として一級建築士であり不動産鑑定士であるアークブレーン代表田村誠邦氏を予定しています。

 今回で最終回となるこのシリーズは平成12年から始まりました。当時はまだPM・FM・CMの言葉さえあまり聞かなかった時代でしたが、これからはこの言葉がキーワードになる事は間違いありません。

 今年も皆様のニーズに応えるよう、色々な講習会を企画していきたいと思いますので宜しくお願い致します。

データベース中間報告

清水建設株式会社 見積部 木谷 和俊

 2002年、建設リサイクル法施工の年、データベース委員会を発足。

 将来、分別解体に役立つテーマとして、今までに見積りしたマンション、学校、事務所ビルのデータを収集、建設副産物別に分析することに決めスタートしました。

 当初の目標より遅れましたが、マンションの部がまとまりましたので、下表に報告します。

 データの取り方、内容に興味のある方は、協会のホームページをご覧下さい。

ホームページ委員会「挨拶」

清水建設株式会社 見積部 村井 弘和

 先日あるテレビ番組で、京都の料亭「瓢亭(ひょうてい)」を特集していた。

 「瓢亭」は、言わずと知れた日本で最も歴史のある懐石料理の高級老舗である。番組では、後当主の「人をもてなす心」を中心に料亭の裏側の世界を紹介していた。

 その中で御当主は料理の心を料理人を志す若き人たちに伝えるため、ある料理師専門学校で特別講師として招かれた場面があった。一人の生徒から「料理をされる上で最も大切な事はなんですか。」という質問がでた。御当主は「それは挨拶です。」と答えられた。「挨拶は、目下のもんが目上のもんにするのが当たり前やと決めつけたはる人もいますが、挨拶いうもんは先に見付けた人が自然とするもんです。挨拶するのに上も下もありまへん。」と付け加えられた。早朝、御当主が調理場へ入られる際、最も下の見習の料理人に対しても、先に「おはようさん」と声をかけておられた。声をかける事により、その日の皆の調子や空気がわかり、人を思いやる心やチームワークも生まれるという事だそうだ。
 なるほど、私たちの仕事に置き換えてみれば「仕事」とは技量よりも、その仕事に向き合う気持ちであるということかと、妙に納得してしまった。。

 私たちが進めているホームページについても、作り手の気持ちが伝わるホームページにすればもっと多くの人達に見てもらえるのかなと思う今日この頃です。

「木造住宅耐震改修・概算工事費の目安」を利用するにあたって

耐震委員会 委員長 林 進

耐震委員会では木造住宅耐震改修・概算工事費の目安を作成しました。この概算工事費のシートを利用するに当って、目的と運用及び注意事項を掲載します。尚、この概算シートは当協会東海北陸支部のホームページにデータで掲載しますので、必要な方はご覧下さい。

<< 目的 >>

1.耐震診断を受け、耐震補強設計をもとに概算で耐震改修工事費を算出する目安としてご利用下さい。
2.自宅の耐震改修工事を実施する前に自ら工事費を概算で把握できます。
3.耐震診断相談員が改修工事費を相談者に提示するバックデータとしてご利用下さい。

<< 運用 >>

1.耐震診断を受けて下さい。
2.概略改修計画を専門家にご相談下さい。
3.補強方法を選択して、か所数を概算シートの数量欄にご記入下さい。(ご利用については、汎用シートをご参照下さい)

<< ご利用に当っての注意点 >>

1.「耐震改修工事費 概算シート」では、概ねの工事費であり、実施設計図をもとに見積書を作成した金額と増減があります。
2.附帯工事が発生する場合があります。例).霧除庇 戸袋 バルコニー サッシ エアコン等の設備機器・・・・等の取り外し、再取り付けは別途費用がかかります。
3.耐震補強部分以外のリフォームについては、別途費用がかかります。

「愛・地球博」長久手会場 建設現場視察会に参加して

二葉積算  平松 邦裕

 万博と聞いて、私が抱くイメージは、世界の様々な国々や、日本が誇る大企業が出展する数々のパビリオンを見学して回るといった感じです。
 過去の万博で、1970年の大阪の万博や、1985年のつくばの科学技術博、1990年の花と緑博に行った事があります。
 大阪万博では、2回家族で出かけましたが、入場者数が82万人、79万人(1日で)と確か史上1、2位の人出の日で、殆ど何も見る事が出来なかった思い出があります。
 科学技術博、花と緑博では、大阪万博ほどでは、ありませんでしたが、やはり相当混雑していて、人気のあるアメリカ館や、日本政府館、日立館、三菱館は、入る事が出来ませんでした。
 今回の愛・地球博では、地球環境を守るという今までの万博になかった視点から開催される初めての万博なので、大変期待し、また、楽しみにもしています。
 ただ、心配なのは、予想入場者いけば、それ程混雑せず、ある程度の人気のあるパビリオンに入る事が出来そうですが、この予想入場者数は、今までの万博から見て、少なすぎるのでは、ないでしょうか。大混雑で、人であふれかえってしまうのではないかと、とても気がかりです。

エネルギー

日本設計  桑名 利男

 2004年は、天災の被害が甚大な年で兵庫の集中豪雨は、最初、朝のニュースで見たとき、筏に乗って避難しているのかと思いました。
 バスの屋根で三十何人が雨中、増水した濁流に膝まで水に浸かりながら、皆で励まし合い、歌をうたい、暖を取り不安な一夜を過ごした朝の映像でした。
 年配者の多いグループだとニュース解説されていましたが、濁流の中、我が身を危険にさらし、最寄の樹木に泳ぎ渡り、流木にてバスが流されないように繋ぎ止めたエピソードは、スピルバーグも思いつかないような状況で、感銘を受けました。
 このような、日本人の勇気、エネルギーは、人・時・機会・場所等が複合的に重なり合って起こるものなのでしょうか。

 中日ドラゴンズが優勝する年は、あまり良い年ではないと言う人もみえますが、オレ流「落合ドラゴンズ」は、惜しくも日本一には成れませんでした。
 しかし、名古屋に元気をもたらし、多くのファンから感謝されています。
 ナゴヤドームでの全4戦は、ファンの声援がドームの天井を破る勢いで、それに応えた井上選手の活躍に感動したファンも多いと思います。
 特別な補強も無しで優勝できたことは、ファンと一体となり選手夫々の能力が、目に見えない力のもと、一体化した結果だと思います。

 歴史をふり還りますと、近代日本の大 きな変革は、江戸幕府三百年の歴史が終焉した幕末・明治維新が思い浮かびます。
 薩・長・土・肥の外様土佐藩は、慶長五(1600)年十一月初代「山内一豊」が静岡掛川から移封され五年後に没しますが、それ以後十五年の間に江戸・駿府・篠山・名古屋・大阪の城と普請を繰り返し、その間に「大阪冬の陣」、「夏の陣」に召集し、元和五年6月には「福島正則改易」による広島への派兵と続け様に課役され、財政は破綻しました。
 一方、中日D「井上選手」の出身地でもある鹿児島・薩摩藩と東海地方との関係は、二百五十年前にのぼる1753年(宝暦三年)十二月に幕府が薩摩藩に濃尾川普請手伝いを命じた「宝暦治水」が有名です。
 この手伝いは、頻繁に水害を被った地元の要請を受けた幕府が、直轄工事の名目で千二百キロも離れた薩摩藩に命じた三川(木曽川、長良川、揖斐川)護岸工事です。
 幕府の予算は、九千八百九十五両二分あまりでしたが、お手伝い役の薩摩藩が要した出費は、実に四十万両にのぼりました。
 工事完了までに九百四十七人の薩摩藩士は、馴れない治水事業に苦労し、数次の出水で作業は思うように進まず、つよい幕吏の督責にあい、着工から1年の間に自刃した者五十二名・病死した者三十六名合計八十八名の犠牲者を出す難工事でした。
 着工から約1年後宝暦五年五月二十二日の幕府竣工検査には、一同その出来栄えに驚嘆したと言うことです。
 しかし、工事施工総奉行「平田靭負」は、藩主島津重年公に工事完成の報告後、工事費の増大と多くの部下を死に至らしめたことは、藩主に対して申し訳ないという精神的責任感から自害したのです。
 薩摩藩は幕府の威を恐れて、この事について一切の不平やその内容すら子孫に伝えさせませんでした。
 薩摩藩は、この苦難を絶する大事業終了後財政建直しの為、質素倹約・学問の奨励・産業の振興に努力しました。
 この物語は、作家「杉本 苑子」によって『孤愁の岸』 として、世に広められ、毎年、御園座で上演されています。
 この薩摩義士の家憲に「代々、一生に一度だけは、美濃の土を踏むように」とだけ、その理由をいうことも無く伝えられているそうです。
 このように、江戸初期は徳川幕府の圧力が主に地方の外様・雄藩に向けられていた事が、わかります。この後、約百十年の年月を経た文久二年(1826年)現在の神奈川県生麦村にて、イギリス人が薩摩藩の行列の中に馬で乗入れて、藩士に切られる「生麦事件」が起こります。
 この頃には、外様の地方雄藩(薩摩・長州・土佐・肥後藩等)の藩主自らが、黒船の出現以来、「日本の国は之で良いのか!」という事を考える様になり、幕府の言う事を素直に聞かなくなりました。
 生麦事件の始末を外国は、何度も幕府に圧力を掛けるのですが、埒があきません。
 この後、攘夷思想が強かった両藩・薩摩藩はイギリス艦隊、長州藩は、イギリス・フランスなど連合軍と戦争するが、異国の兵器と日本国兵器との差は極めて大きく、「無謀の攘夷は我が国を亡ぼすことに成る」と心新たにしました。
 又、これら雄藩は、周囲(外国)の技術が分かる人、「時」をみて人から教えを乞う胆力を備えた家臣が多く、直ぐに外国軍船及び最新兵器を購入しました。
 日本国内を纏めて諸外国と付き合わなくては、「日本の国」を守ることは出来無いと思った連合軍(薩摩・長州・土佐・肥後藩)が、幕府に進言しましたが、外様が何を言っているのかと旧態幕府は聞き入れませんでした。
 財力・戦争体験の無い徳川幕府軍と、薩・長・土・肥後藩は諸外国の軍隊の動き、銃器に使い方を充分知っている連合軍との戦いは、歴然とし、歴史に記されたとおりです。

 日本人は、エネルギーを蓄えることと、爆発させることを昔から先人に教えられた国民だと思います。

健康であること

株式会社二葉積算名古屋支社  西田 彰

 積算業務に携わって30余年が過ぎました。

 若い頃には物量と時間との狭間で肉体的にも精神的にも疲れ果てていても、体がそれらに耐え得るだけの力を備えていました。
 ハードな仕事の後は酒でストレスを解消し、朝日と共に仕事を始めるこのような毎日をあたり前のようにくり返していました。
 早く帰ることができてもストレス解消と称して夜の巷に身を委ね、いつもと何ら変わりありません。
 食事も日に一度、健康などという言葉は我が辞書にはなかったようです。
 偶然にも健康であったと思います。

 会社の健康診断では、毎年、要注意・要受診・再検査と数が増え、ついに主治医へのお手紙が添付されるようになりました。
 何の自覚症状もありません。忙しさと面倒さで病院には行かず「何とかなるさ」のO型気質で10年以上が過ぎました。

 昨年の健康診断では要受診項目がまた一つ増え、主治医へのお手紙も一段と厚くなったようなので、ついに重い腰を上げることとなりました。
 やはり何の自覚症状もありません。検査の結果、即入院、即手術ということで、1ヶ月ほど貴重な経験をすることとなりました。  天罰です。

 教訓「たかが健康診断と侮(あなど)るなかれ、後悔先に立たず。」体の変調に気づいた時には手遅れです。
 変な検査結果が出たらすぐ病院へ行くこと、経験者からの言葉です。
 「積算をしていると忙しくて自分の時間が思うように取れない」と聞きますが、検査の1~2時間程度を作ることは決して難しくありません。
 健康診断などしたことがないという方がいらっしゃいましたら要注意、次はきっとあなたの番です。早く検査を受けて下さい。
 決して私の二の舞を演じることのないようにして下さい。

 入院生活初体験の私にとって、全てが新鮮なものであり、周囲の心配を余所に1ヶ月を飽きることなく送る事ができました。 ハプニングもありました。手術室へ運ばれる途中、私の薄れる意識の中で、悲鳴と共にストレッチャーの下に消えた小柄な看護師さんが一名・・ストレッチャーの脚につまずき、大の字になって倒れその上をストレッチャーが引いていったとか。 背中にくっきり車輪の跡。あくる朝、ひたいに貼った絆創膏が痛々しくもありました。

 看護師さんと結婚について話す機会がありました。 「看護婦は気が強くなくては勤まらない仕事だから、お嫁さんにしたら尻にしかれることになるわよ」ときつい一撃。 手術後まもなく看護師さんが白衣の天使に見え始めた頃なのですが・・。
 その夜なぜか傷口が疼(うず)きました。  婦長さん・・課長と呼ばれていましたが、毎夕お話をしに来てくれました。
 サザエさんのお母さん「磯野フネ」にそっくりです。 その部下の主任がサザエさんのように明るく元気な人で、その二人のイメージが頭から離れず、目を閉じると昼夜を問わず瞼の裏にでてきました。 最近この症状はおさまったものの、日曜の夜は今でも心配です。 戒(いまし)めとして、退院時の看護師さんからいただいたメッセージカードを毎日見るようにしています。

 どの仕事もそうかも知れませんが、積算の仕事は、肉体的・精神的にも決して良いとは言えません。
 定期的な検診は当然のこと、変だと思ったらすぐ見てもらいましょう。 自分だけは大丈夫なんて言うことはありません。 健康さえあればいつでも仕事はできます。

 経験者よりの一言。

めざせ日本一!開けドーム!

広報委員 ドラゴンズ担当  吉原 光二

 去年のスポ-ツ界はいろいろな事がありました。
 アテネオリンピックのメダルラッシュは今でも思い出すと興奮します。
 特に水泳800m自由形の柴田選手と体操男子団体の金メダルは、深夜まで生放送で見ていて、本当に感動しました。
  「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ!」の名アナウンスと共に富田選手が着地を決めたときにはホント泣けました。

 イチロ-選手の最多安打記録もすごかったですよね。 ヤンキ-スの松井選手も負けないくらいよく頑張りました。この二人には僕から個人的に金メダルを与えておきます。

 でもって去年一番嬉しかった金メダルはやっぱりドラゴンズの「セ・リ-グ金メダル」ですね。 一番悲しかったのは「日本シリ-ズ銀メダル」です。(福留選手と岩瀬選手は銅メダルまで持っています)
 前回ドラドンズが優勝した時、僕は「こんな貧相な打線で大丈夫じゃろか」というような記事を書き見事はずれました。
 一昨年、落合監督の就任が発表され、選手の補強もほとんどしないで「優勝します。日本一になります」と言ったときも、 「そりゃないわ、無理だわ」と思いました。
 残念ながら、日本シリ-ズは負けてしまいましたが、落合監督のことを「日本一の大ボラ吹き男」と密かに思っていた僕は、またもや反省するのでした。

 ドラゴンズが最後に日本一になったのは昭和29年だそうです。僕はまだ生まれていませんでした。 今年は「日本一の大ボラ吹いて達成しちゃった監督」になって、日本シリ-ズの胴上げを見せてください。

 話は変わりますが、僕の自宅の窓からは名古屋ド-ムの屋根がくっきり見えます。 電波障害の対象になったくらい近くにあります。
 ド-ムが出来たころはよく自転車で見に行きました。初めの頃は、綺麗になって近くになって、これはいいぞいいぞと思っていました。 しかし何回か通っているうちに、「何だか名古屋球場の頃が懐かしいなあ」と思うようになってきたのです。
 確かにド-ムは、人工芝は目にも鮮やかで、照明も明るいし、清潔で、雨の心配もないし、といい事ばかりですが、何故か昔、名古屋球場のスタンドの上のほうでペラペラのプラスチックの椅子に座り、夜風に吹かれてビ-ル飲みながら観戦した頃が懐かしく思えてきたのです。
 年をとると昔のほうが良く思えるのかなあと思っていたのですが、ある日ド-ムで観戦していて気がつきました。 あんなに広々としているのに何故か息苦しいのです。そして「ナイタ-を観戦している」という実感がわかないのです。
 暗い夜空の下、カクテル光線が照らす天然の芝と土のグラウンドの上を選手が動き回る。レフトスタンドの向こうには新幹線が通り、ライトスタンド側のマンションの屋上では只見の客がいて・・・これが名古屋球場のナイタ-でした。
 そこでお願いがあるのです。名古屋ド-ムで「ナイタ-」を見せて欲しいのです。
 天気のいい日には夜空が見えるようにして欲しいのです。
 聞けばイチロ-が活躍するシアトルの球場は雨が降ると何処からか屋根がズコズコとやって来て蓋をしてしまうそうです。
 名古屋ド-ムはその逆で、天気になったら屋根をパカ-ッて開いて欲しいのです。そしてグラウンドを土と天然の芝にしちゃうのです。いいでしょうこれ。
 でもこれ誰にお願いすればいいんですかね。

 最後に一言 「名古屋ド-ムの夜空に描くホ-ムランは優勝への架け橋だ!」(盗作)

女性スタッフ紹介

白木建築積算 長屋 亜佐美

今が頑張り時!?

 

 毎日、辛い、辛いと思いながら、はや積算暦9年目になります。 
 私は基本的に意匠積算を担当していますが、最近は少しずつですが構造と値入を勉強させていただき、まとめもさせていただいています。

 私が積算と出会ったのは高校の夏休みの講習会がきっかけでした。それまでは積算という専門の職業があることを知りませんでした。
 講習会を終えて、漠然とですが、決まりごとにのっとり、こつこつと作業をしていく積算という仕事は私にあっているのでは?と思い、今の会社に就職しました。
 実際、仕事をはじめて数年は覚えることも、作業量も多く大変でしたが、改めて私にあっていると思いました。
 最近は、まとめの作業を任されるようになり、慣れない事ばかりで、失敗もしたり、上司に指導を受ける事が以前よりも多くなり、「私には向かないのでは?」と考えることが多くなりました。 それでも目の前にある仕事はやらなければ終わらないので、毎日自分自身と戦いながら、こつこつと頑張っています。
 もちろん、今まで自分一人の力で頑張ってこれたわけではありません。上司や同僚に仕事や精神面でいろいろ助けていただき、とても感謝しています。

 まだまだ、学ぶべき事が山ほどありますが、今やるべき事を毎日確実にこなしていきたいと思います。
 また何年かして、振り返れば、自分にとって勉強となる日々だったと思えるよう、努力していきたいと思います。 

清水建設株式会社 見積部 松原 博美

仲間がいるからこそ

 

 清水建設に入社して以来、構造一筋にひたすら頑張ってきた年月を思い起こすと、月日の流れは速いもので、17年という年月が経過していました。
 その中で、良い経験になったのは、愛知万博の仕事を担当したことです。
 イレギュラーな建物形状、棟数の多いこと、限られた見積日数で積算できるか、夜も眠れない位不安材料が沢山ありました。

 思い起こせば本当に苦しかったけれども乗り越えられたのは、一緒に頑張った仲間がいてくれたことだと思います。 そのことは、私の大切な思い出のひとつになりました。
 近頃、ふとしたときに浮かぶ歌があります。

 「滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」
 小倉百人一首 大納言公任より

 この先もいろいろな物件を担当すると思いますが、人との出会い、仕事との出会いを通して、自分を磨き、熟成する様、努力していきたいと思います。
 そして最後に会社人生を終えた時、この歌の様に見積部の歴史の一頁の中に頑張った自分を残せたら嬉しいと思います。

忘年会

広報委員会一同

 昨年、12月17日(金)に東京第一ホテル錦3階レジェロの間にて当積算協会の忘年会を行いました。 
 忘年会の前には支部役員会も行われ来期の役員改選等の審議があり来期の活動に向けて進行中です。

 忘年会の出席者は支部長をはじめ役員及び委員そして賛助会員の皆様33名と遠方の出席者が少なく少数でしたが杉浦支部長の挨拶に始まり、岩本氏の乾杯の音頭でにぎやかな宴が行われました。
 今回は残念ながら河邊事務局長が入院の為、欠席でしたが代わりに林積算の林さんが司会をしていただくというように、この協会は皆様の御協力で成り立っていることが再認識される忘年会だったと思います。

 出席された方たちは数年に渡って同協会の委員又は役員として活動していただいている皆様ですから気が知れている身内みたいなもので、各テーブルには入れ替わり立ち替わりと移動があり1年間の話題で盛り上がっていました。
 中締めの前には昨年の反省としてマイクが半数以上の方に回って皆様の挨拶や上司と共に出席した部下からの話や親子又は兄弟からの身内の話など楽しいスピーチで場内が和やかになりました。

 われわれ広報委員会は会場にてこの時の写真を撮影しましたので同時に掲載し会員皆様に当協会で活動されている役員及び委員の状況を報告いたします。
 最後に、今後とも日本建築積算協会東海北陸支部の各委員会活動に御協力を宜しく御願いいたします。

初代支部長 伊藤平エ門先生を偲んで

三河部会

橘 敞

 東海北陸支部初代支部長伊藤平左エ門12世 (中部大学名誉教授)氏は平成16年9月21日薬石の効なく享年81歳にて永眠されました。

 告別式が9月25日(土曜日)に東京都港区高輪三丁目にある高野山東京別院にておいて営まれることになり、私が杉浦譲治支部長の代理として参列してまいりました。伊藤先生が自らの設計の本堂で生花に囲まれた遺影を拝して、大導師は名古屋の真宗大谷派浄念寺住職の読経がしめやかなうちにながれ葬儀が始まりました。東京帝国大学時代の友人お二人と中部大学の先生の弔辞を拝聴し、伊藤先生が生涯における人柄に深く感銘いたしました。私も読経がながれるなか先生からのご指導を感謝し、敬意を思い焼香させていただきました。 最後に喪主である奥様の代理として実弟の伊藤延男先生から故人である伊藤平左エ門家12代としての責任、名誉のために大変な精進、努力をされたこと、また、関係者皆様のお力添えに対する謝辞と伊藤平左エ門建築事務所を将来ともよろしくお願いしますとのご挨拶があり葬儀が終わりました。参列者全員に、先生が生前中に研究と経験談等を書き残した貴重な資料《戦後建築史家の軌跡・伊藤平左エ門》をいただきました。

 私は昭和39年から5年間伊藤先生の事務所にお世話になり、全国各地の重要文化財保護施設をはじめ社寺建築等設計積算監理の仕事をさせていただきました。なかでも久能山東照宮博物館、皇居大手門復元、平泉の二階大堂、無量光院復元図、香取神宮宝物館、自由ヶ丘熊野神社等や、また、11代伊藤平左エ門さんの設計施工の仕事のお手伝いをして貴重な体験をさせていただきました。

 アメリカ・ニューヨークの近代美術館に展示された書院造りも伊藤平左エ門さん等宮大工の技術でアメリカでは日本ブームが起きたとのことだそうです。私もニューヨークで2年間合掌造り建築と日本庭園造りの仕事をしました。ファイアーモントパークに移築された書院造りも見学に行って来ました。日本に帰ってから太田博太郎先生と伊藤先生両名による設計の鳳来寺本堂再建工事現場で宮大工の手伝いをさせてもらったこと、また、積算協会第3回全国大会が地元名古屋で開催された昭和59年(1984年)1月支部長として大変ご苦労されたことなど思い出が次から次ぎへと走馬灯のように私の脳裏に浮かんでまいります。

 大会会場で伊藤先生の著書『明治造営百年』、『東本願寺』の高価な本にサインをいただきありがとうございました。ご冥福をお祈り申しあげます。弔辞の一筋にありましたように「私も浄土へ行きましたらご指導いただきますようお願い申しあげます」

合 掌

岐阜部会だより

株式会社市川工務店  神山 富弘

 平成16年12月15(水)の午後6時30分より、JR穂積駅北口にあります,毎年恒例の「市橋屋」さんにおいて、総勢11人(ちょっと少ないので来年は20人程度で行いたいですね。)で岐阜部会の忘年会を行いました。
 まず始めに、岐阜部会の松岡会長に挨拶を頂きました。お話の中で、「今年は岐阜建築見積センターを発足し、来年は本格的に運営したい。」との力強い挨拶がありました。

 部会長に続きまして、山本さん(水資源開発公団OB)の発声による"乾杯"の音頭で、宴が始まりました。男性ばかりの部会員でしたが、コンパニオンの桜で盛り上がり、宴たけなわとなりました。話題はどうしても建設業界・積算の話しが中心となります。今回出席した中で、私は一番若い(36歳)ですが、業界のプロフェッショナルの方々と、懇談する機会があまり無いので、このような場で、いろいろな話を伺うのも私にとってプラスになります。

  来年、愛知県では中部国際空港の開港・愛知万博の2大ビックプロジェクトがいよいよ始まりますが、岐阜県においても(負けてはいられません。)岐阜駅前再開発で超高層複合タワーの"岐阜シティー・タワー43"が着工します。このビルは、な・なんと・・・・・・地上43階地下1階、高さ163mで、商業施設・福祉、医療施設、岐阜放送本社、高齢者向け優良賃貸住宅(108戸)などで構成、最上階にはスカイラウンジが入る予定です。岐阜にこのような超高層ビルが誕生することで、岐阜駅前の再開発が活発になるのではないでしょうか。 最後になりますが、平成17年度も岐阜部会主催の行事がありますので、皆様のご参加をお待ちしております。 

北陸部会の現況

有限会社富山積算センター  笠谷 正

 北陸部会が設立されて1年余りになります。 5月15日の第2回総会で検討・承認された平成16活動計画のなかでは、「建築積算資格者更新講習」を最重点項目と考え活動の目玉として取り上げました。部会設立時から準備・運営の全てを部会目前で計画し、開催したいと思っていました。今回の更新者は人数が少ない為、3年毎に毎回他の会場で受講されていたことと思いますが、受講者の皆様が少しでも時間・経費の節減になればと考えまして金沢で開催したいと考えました。

 10月2日に事前打ち合わせを行い当日の役割分担スケジュールを確認しました。  当初、20人前後と考えて充分余裕をもった会場設定した心算でしたが、最終的には35人の申込み(うち1名欠席で34名受講)があり、やや手狭で窮屈な感じになってしまいました。また、中越地震による交通網の分断のため国土交通省の講師の先生方の講義が一時危ぶまれ、代役も考えましたが無事出席頂き胸をなでおろしました。今回の開催に当り関係者方面への挨拶回り、当日の協会挨拶・司会に杉浦支部長と河邊事務局長の応援を頂き感謝申し上げます。

 その他の活動として
(1) 勉強会  会場 明峰積算 日時12月6日 本年度積算資格者を取得した女性が講師となり建具関連・その他を勉強
(2) 忘年会  会場 ルネス金沢 日時12月11日 9名の出席で大変寛いだ雰囲気で楽しい時間を過ごしました。 以上が主な活動内容ですが、今後とも会員の皆様の多数の参加をお待ちしています。 

編集後記 祝 愛・地球博開催 セントレア開港

 2005年 いよいよ愛知地球博開催(3月25日)の年となりました。 セントレアも開催1ヶ月前(2月17日)に開港になり中部地区の新しい幕開けです。 海外からセントレアにそして愛知地球博にと外国からの来客も予想されます。 昨年より支部報でも掲載してきました、この業界にとって2大プロジェクトともいえる工事の完成とあって、早く万博会場ならびに空港を見たいと思っているのは他の方も同じだと思います。 

 年末ならびに年始の新聞そしてテレビ番組等で会場の内容も明確になってきました。 ぜひ万博会場へ!セントレアへ! 

 ※長年に渡り当協会で広報委員として支部報の発行を担当されていた松原舜二郎役員が昨年12月23日に逝去されました。平成15年9月に倒れ意識不明で入院され1年以上の闘病になりましたが残念ながら協会への復帰はなりませんでした。広報委員会一同は復帰を願っておりましたので誠に残念でなりません。ここに改めてご冥福をお祈りし合掌。

公益社団法人日本建築積算協会・東海北陸支部